この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
プロローグ
相手がプロ棋士の場合もあったんだろ?
なぜ、こんな無名のやつがここまで勝ち続けることができるんだ。
たとえばこの将棋は、なんだ、なぜ、こんなへぼい手を指して勝ってるんだ。
たしかに、こういうことはよくあることだ。でもこれを含めて無敗なのが不思議なんだ。
こんな手は将棋が強い人間は絶対指さないし、相手がもしミスを重ねなければ負けていた将棋だ。この結果はたまたまだっていうのか?
次の手を何指すか分かってるとか?
どうやって??そもそも、お前は、相手が何指すか分かれば勝てるのか??
二人零和有限確定完全情報ゲーム
二人:プレイヤーの数が二人
零和:プレイヤー間の利害が完全に対立し、一方のプレイヤーが利得を得ると、それと同量の損害が他方のプレイヤーに降りかかる
有限:ゲームが必ず有限の手番で終了する
確定:サイコロのようなランダムな要素が存在しない
完全情報:全ての情報が両方のプレイヤーに公開されている
という特徴を満たすゲームのことでチェス・将棋・オセロなど、運に左右されないボードゲームの多くが二人零和有限確定完全情報ゲームに相当する。二人零和有限確定完全情報ゲームの特徴は、理論上は完全な先読みが可能であり、双方のプレーヤーが最善手を指せば、必ず先手必勝か後手必勝か引き分けかが決まるという点である。実際には選択肢が多くなると完全な先読みを人間が行う事は困難であるため、ゲームとして成立する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E9%9B%B6%E5%92%8C%E6%9C%89%E9%99%90%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
1.発症
「多発性硬化症の疑い」
ここ数日、右手の中指のしびれがずっと続いていて、念のため病院にいってみたら、このような診断がついた。聞いたことのない病名だ。
MRIの画像を見ると頚髄(脊髄の頭に近い部分)の一部に白い影があり、この影響で右手の神経がおかしくなっているのだそうだ。大学病院を紹介された。
近所の病院だったが、僕が症状を説明したら、すぐにMRIを撮ってくれて、大学病院をその日のうちに紹介してくれたというのはとても迅速な対応だと思った。
しかしながら、大学病院側の受け入れにしばらくかかるみたいなので1週間程度は自宅で安静にすることになったのだが、病院にいったころから、症状が悪化していき右腕全体がしびれ、首を動かすと何とも言えない激痛が走るようになった。
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす
しびれてまともに字も書けず、得意だったピアノを弾くことも、そろばんをはじくことも一瞬でできなくなったことに、中学の国語で暗唱したこの平家物語の冒頭がふと思い浮かんだ。
まさに、この世のすべての現象は絶えず変化していき、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものなんだと。
そして、入院の日となった。
2.入院
「山崎祐樹さん」
看護師に名前を呼ばれ、入院の手続きを始めた。
ーー
入院することになったこの京大病院は、実家から高速を使って90分ほどかかる場所にある。親に送ってもらった。
遠いので親も何度も訪れることは難しいかもしれないが、大病院で設備は一通り整っているし、観光地のど真ん中なので暇を持て余すこともなさそうだ。
この症状が出始めたのは、実家に帰ってきたタイミングだった。
茨城県の大手企業に就職しそろそろ入社5年目になるところだが、東北地方で発生した大地震で会社の建物も被災し、しばらく会社が休みになったので、実家に帰省したのだ。
このころは週6で夜中の12時まで働いていた。それほど疲労はたまっていないと思っていたが、急に会社が休みになって気が一気に抜けたのでその影響で出現した病気なのかもしれないと思った。
上司に病気になった旨と、しばらく休みを取る旨を連絡。抱えていた仕事の引継ぎがあるので、上司は遠路はるばる茨城から入院先の病院まで来て引継ぎしにくるという。
ーー
入院の手続きを終えると、さっそく病室へ移動する。6人部屋の大部屋だ。
年配の方も若い人もいるようだ。特にほかの患者にあいさつなどもすることなく、案内された窓際のベッドに進む。
そして、ちょうどお昼の時間なので、食事が出てきた。入院して初めてのイベントは食事だ。
体調も悪く、初めての入院とはいえ、パソコンが使えないのは大変暇だという思いは冷静に持っていたので、入院準備でノートパソコンとポータブルWiFiの契約を済ませておいた。そもそも病室でパソコンが使えるのかもろくに確認をしていなかったのだが、素知らぬ顔でベッドのサイドテーブルにパソコンを広げて作業を始めてみても、特に看護師から何も言われることはなかった。
都会の真ん中とあって、ポータブルWiFiの接続も快調で実家のADSLより高速な通信ができた。これで快適な入院ライフになりそうだ。
3.将棋
とはいえ、右腕に不快なしびれがあるので、タイピングなどの細かい作業はスムーズにいかず疲労がたまる。動画を見たり、ウェブサイトをネットサーフィンしたりと、主にマウス操作を中心とする作業がメインになる。
その中でも、一番の暇つぶしはネット将棋を指すことである。
「将棋道場」というサイトには、常時2000人から3000人のユーザーがいて、自分と同程度の棋力のユーザーも一定数いるので、すぐに実力が近い人と将棋を指せるので相手には困らない。
大学時代は将棋部に所属し、バイトも先輩からの紹介で将棋センタでお客さん同士の手合いを付けたり、勝敗の記録、売り上げの記録などをするバイトをしていた。それくらい将棋は大好きだったが、残念ながらそれほど強くはなかった。下手の横好きといったところだろうか。
就職しても会社の将棋部に所属して週に1回将棋を職場の人と指していた。
オンライン将棋は時間がある限り何局でも飽きずに指せた。仕事のない土日は1日中指していたこともある。
そういうわけなので、手はしびれていて気分は快調とまではいかないが、暇をもてあそぶほどには元気だったので、心行くまで将棋道場で将棋を指していた。
4.発端
いろいろな検査を受けて、症状に対する点滴治療を受けながら、いつの間にか入院して2週間が過ぎた。
2週間もいると大体雰囲気にも慣れて、居心地もよい。
暇すぎて大変かと思われるかもしれないが、僕には将棋道場をはじめとするインターネット環境があるので全く辛くはない。
僕がかかっているのは神経内科だけれど、僕が入院しているエリアには神経内科の患者だけでなく、交通事故などで骨折していた人などもいる。いずれにしても車椅子の方が多く、病棟を散歩していると車いすの方と多くすれ違う。
後は、夜中に大声でわめきだすおばあちゃんもこのエリアの特徴だと思う。
幸い同じ部屋ではないので、それほど気にならないが、同じ病室の人は大変だろうと思った。
看護師さんの対応は慣れたものだと感心した。
基本的には相部屋といっても、定期的にお見舞いに来てくれる人が多いのもあって、患者間での会話はそれほどはない。とはいえ、普段はベッドを仕切るカーテンはほとんど開けっ放しにしている人が多いのと、トイレや洗面所で出合い頭になったりすると、しゃべり好きのおじいさんがふと雑談を投げかけてくれたりすることもあった。
そういうことが繰り返されていると知らないうちに自分でも自然と人に話しかけるハードルも下がってきていた。
いつのまにか、入院して2週間に差し掛かった。全身麻酔をして手術をするような患者も含めて大体多くの入院患者が1週間程度で退院するので、2週間も入院しているともう入院患者の中では大先輩だ。
そんななか、僕と同じくらいの20代と思われる男性が向いのベッドに入院してきた。
看護師さんにベッド周りの使い方や入院生活のルールなどの説明を受けている。
もう何度も聞いた内容だ。
ふと彼と目が合ったので、時に軽く会釈をした。私のサイドテーブルにパソコンがしっかりセットされているのを見たからかはわからないが、彼も早速パソコンを取り出してサイドテーブルに設置していた。
(続く)
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